
世阿弥の著作に風姿花伝があります。本棚にあるはず
なのに探しても見当たらないので購入しました。岩波
文庫の青1−1です。ちなみに、岩波文庫の白1−1は
人権宣言集、黄1−1は古事記です。

時分の花を誠の花と知る心が、真実の花に
なほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、
この時分の花に迷ひて、やがて、花の失するをも
知らず。初心と申すはこの比のことなり。
風姿花伝 年来稽古條々 二四、五
世阿弥は、初心に関しては花鏡にて詳しく書いています。
初心不可忘 此句、三ヶ條口傳在。
是非初心不可忘。
時々初心不可忘。
老後初心不可忘。
花鏡 奥の段
修行を始めた頃の未熟な初心の芸、その後の修行の
各段階に経験する芸の未熟さ、そして老境に入った時の
屈辱感…。世阿弥は未熟な時代の経験や、ぶざまな失敗や
屈辱感を忘れないように「初心忘るべからず」という
言葉を通して、常に自らを戒めて慢心に陥らないように
説いているように思います。
未熟、屈辱、失敗、ぶざま…そのネガティヴな初心を
心に留めることこそが、時分の花から真実の花へと至るpath
であると…。
*
与謝野晶子の歌に
「その子二十櫛にながるる黒髪の
おごりの春のうつくしきかな」
みだれ髪
晶子が美しいと感じた二十歳の黒髪、その春の美しさを
世阿弥は「時分の花」と称しています。おごり(奢り、驕り、
傲り)に留まっていれば「真実の花」に至ることはないと
説く世阿弥。そしておごりの春を謳歌する晶子。
・・・永遠と一瞬の違いでしょうか?